May 2, 2009

神はサイコロを振るのか?



「神はサイコロを振らない(Der Alte würfelt nicht)」というのは
アルベルト・アインシュタインさんの有名な言葉で、
"この世の中の現象に、不確定なことは無い"という意味です。

元々は
粒子の運動量と位置を同時に正確には測ることができないのは
"元々決まっていないから"なのか"決まってはいるが人間にはわからないだけ"なのか
についての言葉なのですが、

せっかくなので
今回は運命について書いてみたいと思います。

"運命的な出会い"という言葉がありますが、
"偶然の出会い"なのか"必然の出会い"なのか
なかなかその辺があいまいでおもしろいですよね。

偶然だけど必然だったみたいな感じでしょうか。

それでは、
私達の将来は何も決まっていない不確定なものなのでしょうか?
それとも将来起こる出来事は全て決まっている(予測可能な)ものなのでしょうか?

自分の昨日の夕食はたまたまカレーだったのでしょうか?
それとも元々、昨日カレーを食べる星の下に生まれたのでしょうか?

自分の見解としては両方とも正解ではないかと考えます。

全知全能でない自分の立場からすると、昨日の夕食がカレーになるだなんてまったく予想出来ませんでした。また、次にカレーを食べるのがいつになるのかまったくわかりません。つまり、自分にとって昨日の夕食はたまたまカレーだった訳です。

ただし、全てを知る全知全能の神が仮にいるのであれば、その神は昨日の自分の夕食がカレーである事を事前に知っていたはずです。いや、神でなくても全てを知る全知全能の人間がいたとしたら自分の昨日の夕食がカレーである事を事前に知る事が出来たはずです。

ただし、
仮に全知全能の神や人間がいたとしても、現状はその人たちとコンタクトを取る事は出来ないので、私達にとって私達の将来は何も決まっていない不確定なものも同然です。

世の中には全知全能を語る神や人間(あとX年後に地球が滅びるとか)がたくさんいると思いますが、自分の立場から言わせてもらうとほぼ100%が嘘もしくは妄想でしょう。全知全能の神にも結論を出す為には根拠がある訳で、なんとなくそう思ったからとか、どこどこにそうなると書かれていたからなんていうのは根拠になりません。"20XX年に地球が滅びる"と結論だけ便所の壁に書かれていたとしても信じる人は少ないでしょう。

もちろん全ての嘘が悪いと言っている訳ではありません。
受け取る側の立場次第では嘘はやさしい嘘になりえる可能性があります。
また、エンターテイメントも人生を豊かに生きる為には必要な事だと思います。

つまり、結論として、
私達の将来についても"運命的な出会い"と同じで
偶然だけど必然的な将来だと考えます。

ただ、
私達の日々の努力と決断が、私達の未来の大部分を決めている事は間違いありません。
よって日々、努力と決断を繰り返して生きる事は素晴らしい事です。

仮にその努力と決断が運命であったとしても、
そんな事はまったく関係無く、日々の努力と決断は素晴らしい事だと思います。

仮にその努力と決断が無駄であったとしても、
そんな事はまったく関係無く、努力と決断を行った事が素晴らしい事だと思います。

なんか最後は思いっきり力技でしたが、
それも自分の運命なのかもしれません(笑)

ところで
アインシュタインさんには他にも結構面白い言葉が残っているので、
一部を紹介しておきます。

「常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう」
「この世から未来永劫消えないものは2つだけ。『宇宙』と『人間の愚行』だけだが、宇宙のほうは断言できない」
「どうして、自分を責めるんですか?他人がちゃんと必要なときに責めてくれるんだから、いいじゃないですか」
「人間性について絶望してはならない。なぜなら我々は人間なのだから 」



Where the Hell is Matt?? (2008)




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