May 31, 2009

世界に一つだけの花


フジテレビのエチカの鏡という番組をたまたま見たのですが、
その中で、通山保育園の横峯吉文さんが
子供をやる気にさせる4つのスイッチを説明してくれていました。

曰く、

1. 競争させる ... 競争させることで向上心を刺激し、負けた場合にはどのようにすれば負けないかを考え、練習するようになる

2. 真似させる ... 簡単なことから真似させて、いつの間にか出来ているという状況にする

3. ちょっとだけ難しいことをさせる ... 難しい事は嫌がる、簡単すぎる事はすぐ飽きるので、ちょっと難しい事からチャレンジさせて徐々にレベルを上げていく

4. 成果を認める ... 結果を認めて褒めてやる。褒められるとさらにチャレンジしようとする

つまり、競争や簡単なハードルをクリアさせる事で、自分自身に自信を付けさせて自分からチャレンジする子供に育てるという事ですね。

そして、
これは子供だけではなく大人にも当てはまりそうだな~とぼんやりと思いました。

ただし、大人の場合は必ずしも他人が課題が与えてくれる訳ではないので、自分で競争相手を見つけ、自分でちょっとだけ難しい課題を用意し、自分で自分を褒めてあげる事で、自分を育てる必要がありそうです。

う~む。
自分の場合、現在一番足りていない要素は"競争"ですかね。
完全片思いの競争相手(エアライバル)でも見つけてみようかと思います。


No.1にならなくてもいい もともと特別なOnly one♪




May 23, 2009

日本の男よためらいなさい


コカ・コーラ ゼロの
日本発売時のキャッチフレーズを覚えているでしょうか。

そう、
"日本の男よためらうな"です。

コカコーラのチョンマゲを頭にのせた侍のCMが頻繁にTVで流されていたので覚えている方も多いかと思うのですが、その当時、日本コカ・コーラ副社長のハロルド・G・メイさんはCMに侍を起用した意図を以下の様に説明していました。

「日本の男性の3割は座って用を足す」
「日本人から侍のような男らしさがなくなった。眠っている男らしさを呼び覚まして欲しい」

当時は "ほほぉそうですか、ま、その方がカッコヨイよね"
ぐらいにしか受け止めておりませんでした。

で、最近、
婚活支援モバイルサイト"男の子牧場"がサイバーエージェントさんで開始されて、 批判が殺到、開設から6日でサービス停止となったそうです。

男の子牧場!?

男の子牧場のお問い合わせに関して

「男の子牧場」のサービス停止について

サービス停止に到った理由は
"サービスの名称や内容が男性を家畜に例えるものだ"
"男性の情報が本人に無断で掲載されるのではないか"
という意見が多く、サービス見直しのためだそうです。

う~ん。
個人情報が晒されやすい土壌を作るのはあまりヨイ事ではないかもしれないけれど、
別に家畜に例えられてもいいじゃない。実際家畜じゃないんだろうから。

モンスターペアレント、羊水発言問題、年越し派遣村etc
情報やサービスを受け取る側の発言力が高まったのはヨイ事かもしれないですが、
同時に日本の社会全体が自分自身に対する自信を失ってきているのではないかと感じます。

もしくは自分に自信のない方は以前からたくさんいて、
そういう方が気軽に声を上げる事が出来る社会になってきているのかもしれません。

まぁでも
"表現しなきゃ伝わらない"
"声の大きい者が得をする"
というのも現実だとは思うんですけどね。

結局、考えがまとまりませんでした。
どんな問題でも、問題提起する人間は必要だと思います。
でも今回はそこまで過敏に反応する必要もなかった気がするんですよね。
日本の男にもっとためらって欲しかった。

どの程度の問題で自分が声を上げるかというボーダーラインが下がってきているのか、
声を上げる為のハードルが下がってきているのか。

社会全体の価値観が常に変化しているのは理解出来るのですが、
どうもモテない方向に進んでいる気がしてなりません。



both.




May 16, 2009

少年よ大志を抱け


若い頃は良かった。
余計な事は何も考えず目標に向かっていく事が出来た。

若い頃は楽しかった。
余計な事は何も考えず素直に楽しむ事が出来た。

だから若者よ。
余計な事は考えず、今を楽しめ。目標に向かって行け。
どんどんチャレンジしてどんどん失敗しなさい。それが経験になるんだから。

という言葉の裏には、

ただ、知識も経験もある私はなにをするにも余計な事を考えずにはいられない。
失敗したら取り返しがつかない年齢でもあるし。

という気持ちが透けて見えます。

いったいあなたは今何歳でいつまで生きるつもりでいるのか?
本当に失敗したら取り返しがつかない年齢なのか?
余計な事を考えた上で今を楽しみ、目標に向かって行けばよいのではないか?

と思ってしまいますが、

自分は失敗したら取り返しがつかない年齢であると考えている方は
すでに自分の弱さを知ってしまい
それを認め、受け入れてしまった方が多いのではないかと思います。

でもよく考えてみて下さい。
弱さを克服する可能性はあるし、またあなたには別の強さもあるはずです。
自分の弱さを知っているという事は自分の強さも知っているという事なのです。

所詮、年齢なんて
生まれてから何年経ったかというただの目安です。

自分の心、技術、体力。
これは同世代の人間が等しく衰えていくものでも、
また等しく成熟していくものでもありません。

だから自分はあえて言いたい、
全ての人間よ大志を抱け。



Lose Yourself (w/lyrics) / Eminem

Look  考えてみろよ
if you had  もし
one shot  たった一発の
or one opportunity  たった一度だけのチャンスがあったら
To seize everything you ever wanted  お前の望みを全て手に入れる為の
in one moment  その瞬間
Would you capture it,  お前はそれを掴み取るのか
or just let it slip?  それとも諦めるのか
Yo  どうすんだよ

>>

You only get one shot,  お前がたった一度だけ手にする
do not miss your chance to blow  そのチャンスを逃すな
This opportunity comes once in a lifetime  人生でチャンスは一度だけ

>>

You can do anything  なんだって出来るさ
you set your mind to, man  お前が心に決めれば





May 9, 2009

勝者のメンタリティー


日頃メディアに触れていると
"勝者のメンタリティー"という言葉をよく耳にします。

「勝者のメンタリティーが勝敗を分けた」とか
「勝者のメンタリティーを持っている」とか
「勝者のメンタリティーが欠けている」
という風に使われています。

では、"勝者のメンタリティー"とは具体的にどのようなものを指しているのかと考えてみると、なんとなく"勝つために一生懸命やる"とか"自分が勝利する事を信じている"ぐらいしか思いつきません。

そんな訳で今回は
勝者のメンタリティーとは具体的にどのようなものなのかを考えてみました。

まず、
"勝者のメンタリティー"というからには、勝者は持っていて、敗者は持っていないメンタリティーである事は間違いありません。
では、勝者と敗者のメンタリティーの差はなんなのか?

勝者:今回もうまくいく。努力は必ず報われる。チャレンジする事は楽しい。


敗者:今回もうまくいかないかな。努力って報われないよな。チャレンジして失敗したら嫌だな。

ざっと書き出してみましたが、やはり両者の大きな差は勝つ事(うまくいく事)をイメージしているかしていないかの差であると思います。

勝者は勝つ事(うまくいく事)を常にイメージし、信じているからこそ、チャレンジ出来るし、努力出来るし、最後まで諦めないのではないかと。

敗者は勝つ事(うまくいく事)に対していまいち不安な状態だからこそ、チャンレンジにしり込みするし、努力が続かないし、すぐ諦めがちになるのではないかと。

つまり今回の結論として、
"勝者のメンタリティー"とは"常に自分が勝者になる(うまくいく)イメージを持ち、それを信じている事"
ではないかと想像します。

日本の文化は言霊主義("言葉が力を持ち、発した言葉の通りに物事が進行してしまう"という考え方 ex.受験生の前で落ちる、滑るetcの言葉を発しない)だとよく言われますが、この言霊主義も勝者のメンタリティー形成の為に必要な考え方なのかもしれません。

しかし、今回はなんとも文章が極端に短いですね。
毎回、お題と結論を考えてから文章を書いているのでは無く、考えながら文章を書いているのですが、今回は思っていたよりも結論が簡単に出てしまった為です。

よい事なのかわるい事なのか。
まぁ、本当は事前にお題と結論を考えてから毎回同じ様な質と量で文章を書ければ素晴らしいのでしょうが、それを実行する自分がほぼ想像出来ませんorz
いわゆるひとつの勝者のメンタリティー不足というヤツでしょう。ぉげげげ。




May 2, 2009

神はサイコロを振るのか?


「神はサイコロを振らない(Der Alte würfelt nicht)」というのは
アルベルト・アインシュタインさんの有名な言葉で、
"この世の中の現象に、不確定なことは無い"という意味です。

元々は
粒子の運動量と位置を同時に正確には測ることができないのは
"元々決まっていないから"なのか"決まってはいるが人間にはわからないだけ"なのか
についての言葉なのですが、

せっかくなので
今回は運命について書いてみたいと思います。

"運命的な出会い"という言葉がありますが、
"偶然の出会い"なのか"必然の出会い"なのか
なかなかその辺があいまいでおもしろいですよね。

偶然だけど必然だったみたいな感じでしょうか。

それでは、
私達の将来は何も決まっていない不確定なものなのでしょうか?
それとも将来起こる出来事は全て決まっている(予測可能な)ものなのでしょうか?

自分の昨日の夕食はたまたまカレーだったのでしょうか?
それとも元々、昨日カレーを食べる星の下に生まれたのでしょうか?

自分の見解としては両方とも正解ではないかと考えます。

全知全能でない自分の立場からすると、昨日の夕食がカレーになるだなんてまったく予想出来ませんでした。また、次にカレーを食べるのがいつになるのかまったくわかりません。つまり、自分にとって昨日の夕食はたまたまカレーだった訳です。

ただし、全てを知る全知全能の神が仮にいるのであれば、その神は昨日の自分の夕食がカレーである事を事前に知っていたはずです。いや、神でなくても全てを知る全知全能の人間がいたとしたら自分の昨日の夕食がカレーである事を事前に知る事が出来たはずです。

ただし、
仮に全知全能の神や人間がいたとしても、現状はその人たちとコンタクトを取る事は出来ないので、私達にとって私達の将来は何も決まっていない不確定なものも同然です。

世の中には全知全能を語る神や人間(あとX年後に地球が滅びるとか)がたくさんいると思いますが、自分の立場から言わせてもらうとほぼ100%が嘘もしくは妄想でしょう。全知全能の神にも結論を出す為には根拠がある訳で、なんとなくそう思ったからとか、どこどこにそうなると書かれていたからなんていうのは根拠になりません。"20XX年に地球が滅びる"と結論だけ便所の壁に書かれていたとしても信じる人は少ないでしょう。

もちろん全ての嘘が悪いと言っている訳ではありません。
受け取る側の立場次第では嘘はやさしい嘘になりえる可能性があります。
また、エンターテイメントも人生を豊かに生きる為には必要な事だと思います。

つまり、結論として、
私達の将来についても"運命的な出会い"と同じで
偶然だけど必然的な将来だと考えます。

ただ、
私達の日々の努力と決断が、私達の未来の大部分を決めている事は間違いありません。
よって日々、努力と決断を繰り返して生きる事は素晴らしい事です。

仮にその努力と決断が運命であったとしても、
そんな事はまったく関係無く、日々の努力と決断は素晴らしい事だと思います。

仮にその努力と決断が無駄であったとしても、
そんな事はまったく関係無く、努力と決断を行った事が素晴らしい事だと思います。

なんか最後は思いっきり力技でしたが、
それも自分の運命なのかもしれません(笑)

ところで
アインシュタインさんには他にも結構面白い言葉が残っているので、
一部を紹介しておきます。

「常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう」
「この世から未来永劫消えないものは2つだけ。『宇宙』と『人間の愚行』だけだが、宇宙のほうは断言できない」
「どうして、自分を責めるんですか?他人がちゃんと必要なときに責めてくれるんだから、いいじゃないですか」
「人間性について絶望してはならない。なぜなら我々は人間なのだから 」



Where the Hell is Matt?? (2008)